と書いてあるお店があります。
「かねやす」は、江戸時代初期に兼康祐悦が興した歯医者がもとで、やがて歯磨き粉「乳香散」を発売して
大当たりし、以降小間物屋に転じて成功した。しかし、のちに暖簾分けした芝と本郷の店で本家争いとなり、
大岡越前守の裁きで、芝は「兼康」、本郷は「かねやす」とすることで決着した。そのため本郷に残る店は
「かねやす」とひらがなで書いてある。
享保15年(1730年)に湯島や本郷一帯が大火で燃えたため、再興に力を注いだ大岡越前守は、ここを境に
南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にするように命じた。
一方、北側は従来どおりの板や茅葺きの造りの町家が並んだため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われた。
ぜひ一度見に来て下さい。
当社のある本郷はかろうじて江戸の内です。
コンテンポラリーテックまでは江戸の内!”