明治初年から大正12年まで、この地には「山の手第一寄席」と評された若竹亭があった。
毎月前半を落語、後半を義太夫とさ定め、市内有数の寄席であったといわれてます。
定員は800名、主な客層は学生、官吏、会社員が多かったといいます。
明治後期の若竹亭はケヤキ造の建物で高座の間口は3間(約5,5メートル)、奥行き9尺
(約2,7メートル)、客間は6間四方で1階席と2階席があったとのことです。
寄席は江戸時代から続く庶民の娯楽の場でした。
当時は三遊亭円朝や豊竹呂昇などが出演し、多くの人々が詰めかけたとのことです。
文豪夏目漱石も若築亭に足を運んだ一人だったそうです。
つい先日、桂 歌丸師匠がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
若竹亭は、大正12年9月1日におきた関東大震災により被災し、それをきっかけに廃業してしまいました。
最終走者